IKARI curveは橈骨動脈専用のガイディングカテーテルとして1995年に開発されました。この時代は、大腿動脈アプローチが主流の時代でしたが、開発者の伊苅裕二博士は、いち早く大腿動脈アプローチの限界を知り、次世代の橈骨動脈アプローチを推進する必要性を感じました。実際、橈骨動脈アプローチPCIは、1992年にオランダのキムニー医師が世界最初の報告をしていたことを後に知るのですが、とても一般的に行える方法ではなかったのです。その理由は、当時すべての治療器具が大腿動脈用に作られていて、特にガイディングカテーテルという体外から冠動脈入り口までをつなぐ器具が全くフィットしませんでした。そこで、橈骨用ガイディングカテーテルを新たにデザインする必要があったのです。
1995年にテルモ社と共同で開発が進められました。最初は紙にサインペンで、こんな形と伊苅博士がなぐり書きをしたのから始ったのですが、プロトタイプを作り、実際の造影カテーテルで使用し、形状の微妙な変更と、長さや角度など形状の詳細を決めていきました。第四カーブと第三カーブの間は、これくらいといった伊苅博士の人差し指と親指の間の長さになっているそうです。
1995年にいろいろとプロトタイプを作った末にIkari Lの形状を決定した.
1996年で世界第一例のIKARI curveによるPCIが施行されました。連続5例成功し、安定したカテーテルの性能が当初から示されました。
慢性関節リウマチ例で、股関節も著しく変形し、まっすぐ横臥できない。大腿動脈アプローチは不可. 安静時でも発作が起こる不安定狭心症となったIkari Lにて上肢アプローチによるPCI。Palmaz-Schatzステントを植え込み冠動脈治療に成功!(Ikari et al. CCD 1998; 44:244)
このころ、小さな研究会で最初のIKARIcurveの治療成績を発表したそうです。ところが、「こんな器具の開発に意味はない」「開発者の自己満足」「こんな研究をしている輩がいるから、日本の研究はいつまでたってもダメなんだ」最後には、「お前のような奴がいるから日本はダメなんだ」という権威あるドクターからの意見で、伊苅博士にとっては、心の折れることであったとのこと。今でこそ、このサイズの小さなカテーテルが標準ですが、開発当時には小さすぎて一般的な冠動脈治療が行えなかったため、1995年当時には「意味のない開発」といわれても仕方がなかったのかもしれません。ただ一人伊苅博士には次の時代が見えていたのでしょう。
1997年には特許の申請を行い、1999年には米国で、2000年には欧州で特許が取得されました。そして、2002年からテルモ社がIKARI curveの販売を始めました。その後日本のみならず、世界中でIKARI curveの性能が評価され、右肩上がりで使用数が増加しています。すでに世界で50万人以上の患者さんの治療に使われた実績となりました。日本産のこのカテーテルは、標準的な医療器具としての位置づけを確立しました。
開発者の名前がついています